2009年12月31日 「2009年を振り返る」 

  1年はあっと云う間。デフレの影響が仕事にもあった下半期。
後半は思うように成績が伸びなかった。普通なら経験上9月から取り組んだ物件が受注できる10・11月ですが、今年は?でした。相変わらず12月は年末で慌ただしい時でした。
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 ところで私ぐらいの年齢になると、親の年齢が高齢になります。この冷える時期には、身内含めてお客さんの会長や社長さんの年齢が、70歳から76歳の方多いです。。。結構お亡くなりになります。昨年も10〜12月の間に5・6件お葬式に行きました。複雑な思いで参列します。
 思い残したことがなかったですか、人生に満足されましたか。子供達は思うように育ってくれましたか。。。ふとそんなことを聞きたくなります。
 お葬式に参列すると、自分の親へ優しくなる気がします。残り数年の人生である両親。
私は親孝行しているのか?今でも口喧しい親ですが、居ないと寂しい限りです。

来年はもっと親孝行しなくてはと思う訳です。思うだけでなく実行しなくては!!


2009年11月30日 「急遽、福島県へ旅行」  

  友達の家族において、旅行出発の早朝に子供がインフルエンザにかかりました。さて大変!予約しているホテルに当日キャンセルしなくては。機転を利かせた奥さんが旦那に友達同士で行きなよ。
泊まり旅行に行ける男は?温泉が好きな私を想い出したそうです。私は1週間の疲れをとるリフレッシュ目的で湯沢の温泉に行く予定でしたが、電話受けてから1時間後に福島県の温泉へ出発することになった次第です。
 男3人でキャンピングカーに乗り、いざ出発。数分後、最寄りのセブンイレブンに到着。何かと思うや、酒の購入!!運転手は決まっており、昼から飲む羽目に。
 3人は中学の同級生で、中学時代の修学旅行先にも行きました。まぁ〜いい想い出になりました。
 友達は夜のお店の方に新潟の名物コシヒカリを送るとか営業してましたね。県外まで仕事の手を出すとは意外な面を発見しました。
 翌日も朝から飲みっぱなし。那須高原から日光経由で帰り、夜7時に戻って来ました。解散でなく、運転手へのおもてなしが始まる訳です。今度は運転手に思う存分飲んで貰う。2件梯子しました。帰宅は深夜になるし。翌日の仕事に多少影響でましたが、滅多にない出来事なのでOKでしょうと、自分に言い聞かせました。

 皆さんもたまにはありませんか?予想外のお付き合い。


2009年10月31日 「過ごし易い時期、トキめき国体」  

  「NHK大河ドラマ 天地人」効果により私は影響を受けた一人です。南魚沼市に居ても地元の歴史までは興味を持ちませんでした。その上私が坂戸山登山を6回するようになるとは驚きです。
学生時代は球技スポーツは好きでしたが、疲れる長距離運動など手を抜いていた私です。
増して登山など全く興味なし。兄が登山部でしたが、身なり準備に高額な費用がかかってた記憶が?・・何が面白くてと思ってました。

高校1年のマラソン大会では、普通に走り、中間の順位程度。2・3年ではビリ集団でした。100円持ってマラソン大会に参加し、、缶ジュース買って走った記憶があります。
 サッカーには超燃えました。高校から始めた部活で夏休みの練習では皆勤賞でした。絶対レギュラー取ると頑張った1年でした。何とか気合いでレギュラー選手になって、センターフォワードやライトウィングでハッスルしました。この時から「俺は諦めなければ不可能は無い」なんて自信持ったのかな?勿論他の友達の方がサッカー技術はあったと思いますが、先輩のご配慮でレギュラーとったのかも?!(注:正確にはサッカー部でなく、サッカー同好会です。)
 燃え尽きて1シーズンでサッカー止めました。高校1年冬からはアルバイトに燃えた次第です。

なんて過去を想い出しましたが、自転車のロードレースとテニス大会がここ南魚沼市で競技されました。自転車レースやテニスを見るようになったきっかけが、坂戸山登山をした日でした。地元の温泉で汗を流して出ると、通行止め。何かと思い見ると自転車ロードレース中。そうか国体だったと・・・・。自転車が欲しくなった。でも高そう!!大型バイクが欲しい私ですから我慢してます。
 私が高校生だった頃、国体選手になるなんて想像つかないし、そんな環境でもなかったです。同級生の中には高校時代から東京より六日町に単身で下宿生活し、勉強よりスキーばかり。夏・冬オールシーズンしてました。その時から海外遠征組にもなっていたし、大学は推薦で入学してましたね〜。半端じゃない練習が必要なんだろう!
 その同級生と9月の同窓会で名刺交換しました。イタリアで仕事してるとか、イタリアに結構行っていると云ってました。渋谷に会社があり、今も国際派でした。

国体選手やインターハイに出る選手は、他を犠牲にして全てその競技に関係する練習に時間投資するんだと思います。

一つの目標に向かって後悔しない結果を出すために!!ビジネスも人生も全て当て嵌まる事と思っている私です・・・・。



2009年 9月30日 「初めての高校同窓会を終えて」  

 3月末から企画された六日町高校同窓会が無事成功し、ほっとしています。地元有志20人以上が幹事になり私もその一人でした。350名中120名の同窓生が25年ぶりの再会をしました。変わらない人、かなり容姿が変わった人など様々で、若干驚きました。私はこの9月連休には沖縄に行く予定でしたが、この同窓会を成功させることに優先しました。何故なら卒業以来合ってない人が殆どでしたし、沖縄は急ぎで無ければいつでも行けるからです。
 この同窓会幹事会はかなり苦労しましたが、得ることの多い会議でした。他校の中学同級会の成功話を聞いていましたので、高校の同窓会も大成功しなくてはいけませんでした。私は仲の良い友達から、つまらなかったら帰るなどと冗談めいたマジなことを云われていました。なんとか同窓会に誘っている幹事自ら「ゴメン、演出に失敗したとか、企画通りに進行しなかったよとか、赤字になった」など、云いたくなかったのでムキになって同窓会成功に動いた感じです。

 そうゆう事なので会場担当の私は25年ぶりの同窓生とは、ゆっくり会話できなかった次第です。だから数年後は小規模なクラス会を企画したくなりました。
 数年後とは。また会いたくなった頃か、この同窓会開催に奮闘し過ぎたのを忘れた頃が良いかと思ってます。

 当日は幹事2時半集合でしたが、私は1時過ぎに会場に到着しました。実は同窓生には電車を利用して貰いたかったので、幹事自ら電車で当時の通学を想い起そうとしました。しかし電車に乗り遅れました。お願いしていた親父が忘れて出かけ、家からの出発が遅れた次第です。私も危惧していましたが、当日再度お願いしようと思いましたが、まさか前日のお願いを忘れるなんて思いもしませんでした。
しかしやっぱりあるんですね!仕事と一緒で再度確認をするべきでした。
結果的には良かったでした。そのまま湯沢まで送って貰いました。その日はかなり暑くて汗だく寸前、同級生からの電話対応で大変でした。ドタキャンや突然参加するなどの連絡がひっきりなしに入ってきました。
 勿論、風呂好きの私は会場到着後お風呂に入った次第です。時間が無かったのでゆっくりとまではいかなかったですが、、、、。

 19日(土)4時に始まり深夜帰宅で無事同窓会を終えました。疲れましたがゆっくり寝だめして、明日21日の8時出発の会社の小旅行に頭を切り替えました。
 企画者は私ではなくスタッフですが、殆どは私がスケジュールした感じでした。本当はスタッフが全てするべきことですが、私の方が企画経験が豊富なので聞かれて答えた結果、そのまま企画採用された次第です。
 しかし旅行先は混雑覚悟で行きましたが、想像以上に夜は寒くて、超満員でした。
取り合えずの旅行でしたが、満足な結果が得られず、来年春過ぎの暖かい日を狙って再度挑戦という結果になりました。
 


2009年 8月31日 「習慣と心がまえを変える為に」  

 私の業界(ITやソフト開発)では、昔から就業開始時間は9時です。終わりはその人次第です。先輩と共に終電や夜中まですることもあれば、今日は絶対定刻で退社するとか言い争いしたこともありました。(年に数回かな)
 
 内容は明日中にその仕事が終わるか否かの言い争いです。私は絶対終わると言ってデートに行っていた記憶があります。今では懐かしい想い出です。仕事にハマって彼女を失ったことも何度かありました。20年以上前からこの業界は完全週休2日制(東京)で、週末ははちゃめちゃに飲んでおりました。(隔週だったかな?すいません、忘れました。)

 終了時間はたしか18時でした。当時は6時半に出て、横浜市三ツ沢上町から市電横浜駅で東海道線に乗り換え、出向先の九段下(武道館のあるところ)に通ってました。東京駅でまた乗り換えて10分弱歩いて大手町の東西線というルートでした。(通勤時間1時間以上)
 本社は渋谷ですが、年に1回程度本社に行く程度でした。本社に行くときは横浜駅から東横線でというルートでした。朝は6時に起きていたと思います。当時から低血圧で朝は弱いですが、起きるしかなかった次第です。その前の就職先(公務員時代)でも6時起きだったです。

 新潟に戻って自宅からの出勤は8時30分起きでも間に合う感じでした。15分の通勤時間かな。深夜1時か2時に寝ていました。いつの間にか毎日の6時起きなんて無縁になりました。

 しかし今年になってから朝早く起きるように改善しました。細かい理由は省きますが早起きが良いと結論づけた次第です。
 ある雑誌では1・2時間早起きすると1年間が13ケ月になると云ってました。時間が欲しい私にとっては、有難い情報です。5年前に一から出発した私には、このハンディー(遅い年齢での事業開始)を取り戻す唯一の手段です。
とにかくスポーツでもそうですが、上手くなるには練習しかないのです。(天才イチローでさえ人の倍以上は野球に時間を費やしています。)終わりなき仕事にも、自分の目標とする到達点まである程度の時間が必要です。今より満足するには日々の修練かな。。。そんな想いからやっと早起きが習慣になりました。

 同級生に聞いても私ほど朝のんびりしている人は居ませんでした。特に建設業が多い地域です。7時半にはお客様から携帯電話にかかってくる訳で、・・・。

しかし就業開始時間は一応9時です。会社の電話は登録されたお客様の発信者番号が表示されるので電話に出ますが、知らない電話番号だと9時前には出ません。
表向きは9時から18時の営業時間ですが、実際はいつでも携帯電話に出れるときはオッケーて感じです。
(営業マンだから普通ですか。)

何とか一つの習慣(早起き)を替えることができました。

次にハマっていることは、体を鍛えることです。20歳前半当時の体に戻したいと考えております。出来るだけ当時の体にと・・!!

今は体年齢を図る測定器がある時代です。私は弊社のスタッフに云われ、気にかけ始めました。温泉によく行く私はその施設内にある測定器で図ったこともあります。ちなみに私は37歳程度でした。弊社のスタッフは20歳台後半を出すそうです。(そのスタッフはフッィトネスのインストラクターを兼務してますので、仕方ないかな?)
その測定も体の水分量で左右するそうで、あいまいですが面白いのでハマりました。
メタボ予備軍と云われた2年前から体重6キロ減らしましたが、私はまだ適正体重まで3キロオーバーです。70キロで停滞しています。(身長174では67キロが適正)

実は9月にある同級会準備の為に、同級生と合う機会が増えました。消防署職員の彼は坂戸山登山をしているそうです。仕事柄納得できますが、体を動かさないとストレスが溜まるそうです。そんな話をしていると坂戸山登山をして鍛えている同級生が多いことに気づきました。

私も即実行と3日後に初登頂しました。スタッフには3日坊主にならないでねと言われましたが。(実はフッィトネス系のDVDを3種類も買いましたが、今ひとつ続かない。BILLY’S BOOT CAMPは特にハードでした。)

またひとつ良い習慣を身につけたいと健闘してます。


 

2009年 7月31日 「MBCの半期を振りかえって」  

 今年の過去のメッセージを見返すと、ここで初めて仕事のことに触れます。今年のパソコン設備投資は、景気に左右され減少するかと思いましたが、それほど影響を受けなく幸いでした。私のクライアントは賢く、必要な部分には積極的に投資してくれます。抑える所は積極的に管理し、無駄を一掃しております。

 パソコンが無くては仕事が効率的に進みません。1年間パソコン購入を我慢する方がストレスと何時壊れるかの不安が大きいでしょう!壊れたら対応するでは遅い時代です。壊れる前に対応することが、今のビジネス社会では一般的で、将来壊れる確率が高いまま放置運用している点が、経営者にとって問題点であると捉えて貰っております。
 
 経営者の方も今の早いビジネスサイクルを的確に認識されている証拠です。
10年前に導入・勉強しなかった経営者は、後悔しているとの声も聞きます。
「パソコン操作も出来ない経営者と陰では社員に云われている」と笑って云っておられましたが。。。
 
 しかしパソコンは操作云々でなく活用方法が重要かと思います。誰もができるパソコン作業は、担当者に任すべきです。
経営者は何が効率的にできるのか?何が会社に必要なのか?次年度の戦略等を考える時間に重点をおくべきです。
創造的な独創的な発想は、経営者の主な仕事です。

 零細企業ではまだ導入されていませんが、拠点間のネット会議、外勤社員とのネットコミュニケーション、社外サーバーにある社内文書管理など、どこに居ても閲覧でき、社員との情報交換、情報共有が出来る時代です。大手企業が使っているシステムは中小企業まで降りて来ている時代です。信頼される社内管理システムであり、企業においては作業効率をアップさせる手段です。
特に、人件費の高い日本では、アイデアと技術力、きめ細かいサービスで世界一だと思いますので、果敢に挑戦しなくてはいけません。

 使いこなすには早目の導入をし、結果をだしてください。1年後の社内では当たり前のシステムになっているでしょう。

経営者にとって社員間の情報は大切な資産です。情報が記憶だけだったり、見ない紙書類だけでは、もったいないです。曖昧な情報は、決断を下す根拠ある十分な情報でしょうか!(インタ−ネット普及は情報の氾濫社会を産み出しました。価値ある情報整理に努める時代です。)

 この点を見据えた経営戦略を推考し、今の無駄な経費や視点を変えると実はいらない経費発生箇所を見つけられます。次期の投資準備に備えていくことを考えるべきかと思います。

 会社の売り上げがなかなか上がらない企業や順調な企業も、固定経費は着実に上がってきています。それを当り前と思わず知恵を絞り、問題点解決に向けた情報収集に時間を裂いて頂けたらと思います。

 最後に一言、経営者は日中パソコンを使わない方が良いと私は思います。
一人パソコン入力に集中するより、社内の見るべき点が他にあるからです。
するなら誰も居ない早朝の会社でパソコン入力作業してください。


 

2009年 6月30日 「夢 (進歩、成長、変化)について」  

 人間は生まれた時から大人になるまで、夢をもつことがあるかと思います。個人はユニークな存在であり、自分と似た性格の人は居ても、同じ人は存在しません。

私はこのユニークな個の存在が重要かと思います。機械部品の歯車の一つ、平凡な型にはまった人生とか私の大嫌いな言葉です。自分自身の運命は自らが設計者であり製作者でありたいと思ってきました。
 
 勿論、個を守ることはリスクのあることですが、残りの人生3040年を耐えていくよりは、あえて個を選択した方が、私にとって性格的により良い人生かと思いました。
 
 私は、昔から反骨精神旺盛で、弱い者には優しく、強い者には厳しく接する行動をしてきました。
しかし20歳前半の私が感じた現実社会は、学閥・肩書き・地位・年齢・お金云々が邪魔し、逆らっても勝てるものではありませんでした。気に食わない奴がいても、理不尽な上司がいても我慢するしかありませんでした。

 我慢する人生が大人なら、我慢しない子供のように素直な生き方を選択したくなりました。今は我慢だと言い聞かせて、経験含めた色々なものを積み重ねていく時間が必要かと悟り、個を封印致しました。

 進歩、成長、変化は人生の定めと云われております。各々の程度は人それぞれですが、唯一、不変なものは変化すると云う現実だけです。一般的に変化は嫌われますが、受け入れるしかないのです。好むと好まざるとに拘わらず変化します。避けることのできない事実に抵抗せず、進歩、成長、変化することが人生と認めて今日に至っています。

 今、100年に一度の経済状況です。これも変化です。誰が予想したでしょう。経済が進歩、成長すると変化が来ます。やっぱり万物は流転しています。自分たちの重要な時期に横やりが入ったのです。私たち個のレベルでは、この経済をどうすることもできません。

 ただ自分で設計した通りの人生が歩めるように、夢というものを掴むために、最大限の行動を心がけるしかないのです。

 追伸、子供や家族、守るべき人、社員、地域の人。それを守ることが最小限の夢と思います。次は最大限の夢に向かって更に加速いたしましょう。
 
 


2009年 5月31日 「将来上がる消費税について」  

 私は若かりし経済学部を専攻しておりました。今でも大学時の教科書は部屋の隅に残っております。嫌いでない分野でした。しかし実にツマラナイ教科書でした。実践向きでないので、お薦め致しませんネ・・。!!

ちなみに英語にも興味があったので沢山の参考書があります。NHK教育テレビで英語番組はあまり見た記憶にありませんが、NHKの英語の本を購入してラジオを聞いて自己満足しておりました。いつか海外に住みたいと、儚い想いもありましたし、今でも海外進出を狙ってます。(今では英語の道に進んでいなくて良かったと思ってます。日本語も難しいのに、ネイティブな英語単語や経済単語まで覚えられません。今NHK教育テレビで放送しているリトル・チャロを見ている方がちょうどいいし、面白い感じです。)

イタメシのお店を持ちたい為に、思慮した経験もあります。20歳前半で3千万の資金をどう貯めるか?
 その若かりし時は、ローンなんて到底組めない私でした。経営経験もない私ですので、仮に店出したとしても、悪しき人に騙されたりして、99%失敗していたでしょう?

 そんな感じで当時は店が持てないと、すぐに結論が出ました。2ケ月間近く横浜の次男宅に居候しながら就職先を考えました。一人暮らしの為にアパート探し、就職するしかないと!!!!家賃高〜・・・結局は数年間兄と兄の友達と男3人の同居が始りました。(ちなみに兄貴の友達は、私の中学同級生の兄貴です。今でも交流ありです。昔話しをお互いすると止まらないぐらい笑えるエピソードがありますよ。)

 就職先は、情報処理関連のコンピュータを扱う会社に中途採用で飛び込みました。英語が好きだったので簡単な英単語を使うソフトプログラムは、英語にも触れる職業で私には一石二鳥と単純に思って就職しました。

たまたま苦労なく就職できたのでラッキーでした。これからの時代必要不可欠とも思ったし、当時何十万人のプログラマーが足りないとか言ってた時代でした。今の福祉・介護職が足りないと同じかな?!。でも当時はかなりのバブルで残業代がまるまる10万ぐらい付いてた時でした。毎日終電帰りでしたが。

 今でも覚えていますが、面接官の質問で、「コンピュータとはなんですか?」と聞かれました。「コンピュータはコンピュータでしょう!とか」適当に答えた覚えがあります。根拠もなく「最後に一言、何でもやり遂げる自信はあります」と、ハッタリを噛ました記憶があります。まァ〜若いし、怖いもん知らずだったから言えたセリフかな。

 初出勤では一言、担当課長に言われました。当時若干流行っていたアイビールックの派手なパンツにピンクの半袖シャツの私で、ちょっっと茶髪でした。。社会人になってまで髪の事を言われるなんて思いもしなかったです。「少し髪の色を黒くして来なさい」と言われました。ちょっと目立ち過ぎかなと素直に自己反省しました。

ちなみに中学の時(中学卒業アルバムには2年の時の5分刈証拠写真がありました。)も高校の修学旅行の時も、髪の毛が耳に少かかっていると散髪に行けと良く先生に言われてました。高校の時は旅行先で、電車から降りる時に先生が京都に居りたければ、散髪に行けと云う交換条件で降車し、しぶしぶ友達と二人で京都の床屋に行った記憶があります。

ちなみに私は天然パーマです。ちょっと伸ばすとパーマがかかった感じがするので、誤解を受けやすかったです。決して見苦しい長髪をした記憶はありませんし。。。また髪の毛も少し明るい色だったと記憶しております。
 だから髪の毛を染めても、1ケ月もすると染めた色が落ちて更に明るくなるんです。悪循環でした。


 1989年(平成元年)、23・4歳後の時にソフトウェア業界では元号対応と3%消費税対応とで、かなりハードな残業三昧でした。また証券業界や住宅関連など何でもコンピュータで処理する時代に突入しておりました。
 まだパソコンと云うよりオフィスコンピュータの時代で、ホスト以外のコンピュータを端末と言ってた時代でした。パソコンはありましたが、あまり使った記憶がありません。
 30センチぐらいの磁気テープがメインの記憶媒体だったかな。今ではUSBメモリーステックが重宝する時代ですかね〜!


 1997年(平成9年)、消費税が5%にアップしました。この時の消費税対応においては、どの基準日で5%と3%計算を判断するか、条件を追加するだけでした。すでに消費税計算のロジックは構築されているので簡単な修正と単体テストだったような気がします。

 総合テストは、発注元とプロジェクトリーダー(監督者は30歳代)がしてました。ここでイレギュラーな結果が出ると、責任者が再度原因解決の為に徹夜する次第です。
 我々若いソフトプログラマー(20歳代)は設計図を元に、プログラミングするので設計時点で誤っていたら我々には関係ないことでした。我々は単体テストで設計通りの結果報告をして、監督者が途中でミスを発見すると修正する感じでした。(残業が増える始末です)時々時間的余裕があると気を利かせて、これおかしいよと、報告しておりました。

 細かいこと言うと監督者(プロジェクトリーダー)が他の会社従業員だとすると、単体テストをさっさと終わらせて次のプロジェクトに移動します。請け負う仕事は納期が決まっており、親切に修正を伝えると、こちらが間に合わなくなり、ペナルティーや次のプロジェクトに影響でる為です。仮に教えてもこちらに修正依頼しないようにして貰っていました。間違いを後で見つけて手間がかかりそうなら、少しでも早く事前対策に備えて貰う為に親切に報告する感じかな。総合テストは監督者の会社の若手が修正して対応してました。

 地元の建築業より納期は厳しかったですかね。建築は天候に左右されますから、多少工期は伸びる可能性ありますよね。ソフトウェア業界は、遅れた分は人を増やすか徹夜でカバーする感じでした。納期はかなり大事なので、かなり余裕もったスケジュールを組んでおりました。


 2003年(平成15年)、消費税課税業者の免税点が売上3000万円から1000万円に引き下げ。

 2004年(平成16年)、価格表示の「税込表示」が義務づけ。

 2008年(平成20年)、「麻生太郎首相は3年後を目途に消費税の引き上げをお願いしたい。」。。。自民党内や民主党でも消費税アップ止む無し状態です。(公共工事削減行政改革不況対策消費税アップ?)

今まで、消費税論議を出しては引っ込めて、国民に免疫を作ってきました。この不況が終わる2〜3年後には、消費税7・8%は避けられない時期かと思われます。
前回までは平成元年の8年後に5%にし、それから11年経った現在はまだ5%です。

 
国民に対し、アメと鞭の繰り返しを行い、行く着くところは消費税アップ。
皆さん高福祉社会環境整備の為に覚悟しましょうか。


 EU加盟諸国の様に、自然と共生する質素な暮らし。付加価値の高いものを買うなら、その物を大切に使い長く使うように心がける、そして古くても味のある物を重宝する生活が、私なりに考えた理想な暮らしかなと思います。 皆さんはどうですか?

詳細は「消費税」で検索し、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)をご参照ください。



2009年 4月30日 「長い冬が明けました。!?」  

 前回に続き・・・・・・少雪によって車での外回りは、スムーズでした。
4月に入って日中の暖かい日が続き、地元の企業や地域ボランティアなどで構成されるメンバーの花見に、数年ぶりに参加してみました。また小学校の同級会や高校の同級会準備会など、和やかな行事が多くありました。
心折れるニュースばかりの時期には不景気共々吹っ飛ばすには良い会合でした。

 しかし冬は明けたが、日本経済はまだ明けてない!
 

政府最大財源は「借金」?史上初、国債発行が税収超す可能性

2009428日配信 

 政府が2009年度の経済成長率の見通しを実質でマイナス3・3%に引き下げたことで、09年度は史上初めて新規国債発行額が税収を上回り、政府予算の最大の財源が「借金」という非常事態に陥る可能性が出てきた。

 政府は09年度当初予算で、今年度の税収を46兆1030億円と見込んだが、この時点では経済成長率の見通しが0・0%だった。政府は今後に編成する補正予算で税収の見積もりを下方修正するが、単純計算で3・3%分のマイナスは約1・5兆円の減収に相当し、税収は44・6兆円前後に落ち込むことになる。

 一方、09年度の新規国債発行額は、補正予算案で10兆8190億円を計上し、過去最大の44兆1130億円に上っている。税収の減少分は新規国債の発行で対応するとみられ、最終的には新規国債発行額が税収を上回る公算が大きい。

 気が滅入る記事ばかりですが、じっと耐えて明けた時には、邁進しましょう。ただし新潟県などの地方は、東京が上昇してから1〜2年遅れて経済効果が現われて来ますので、夜明けは早くて2年後になるのでしょうか? 

 今年と来年は2年後の経済状況予測をしながら、アンテナをしっかり伸ばしておきましょう。
その前に5月〜秋までは要注意かと私は思います。
何が要注意かと云うと世界・日本経済が国民・企業に与える心理的打撃が相当あることです。
・・・まだまだ安堵できない今年ですが、現実を受け入れ、負けない気構えを持って何事にも頑張りましょう。
 


 

2009年 3月31日 「今シーズンは少雪でした」  

 少雪による南魚沼市の影響は大きい。しかし少雪で喜んでいる企業、市民もいる。皆さんはどちら側ですか?
雪が降ってもらわないといけないこの地域は、複雑な心境です。特にスキー観光や除雪などを見込んでいる会社の人の前では、大きな声では言えない。。。しかしこれからの降雪は年々少雪で、厳しい環境になっていることは確かです。豪雪でなくても満足した降雪は期待できない環境です。考えなくてはいけない問題です。

 少し期待しているのが、NHKドラマ効果です。「天地人」による観光客が増えることは確かです。それと南魚沼市から他県へ出て生活している方々は、高速道路料金がETC搭載車において土日1000円になることです。

 私くしの母校、六日町高校の同窓会が今年あるので、帰巣本能のまま多くの同窓生に帰省してもらい、楽しい同窓会を期待してます。卒業後一度も会ってない同級生もいるし、懐かしいばかりです。370名の内、何割が参加するか? 見込みは少なくて2割以上ですが、100名は参加して貰いたいのです。

 ちょっと過去に振り返りますが、私は田舎が好きみたいです。20代前半は公務員として、県外にいました。当時会うのは田舎の彼女だけでした。友達と会う時間までは無かったのが事実です。当時出来た友達も数ケ月で会えなくなる程、転勤が多かったです。
落ち着く場所と仲間、そして自分の将来に不安を感じた歳でした。公務員には適していない性格を察知した時でした。リスクを負っても挑戦する自分が好きだったし、保守的になる自分が嫌いでした。
 今は何とか自分の目指すベクトルが定まって、後悔はしていない波乱万丈な人生を歩んでおります。

ちなみに私は忘れるのが得意なので、手帳に書いているメモがあります。誰かの○○の引用ですが、気に入ってますので、披露します。

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 無邪気な10代、
 やんちゃな20代、
 冒険の30代、
 挑戦の40代、
 自分探しの50代。
 発見の60代、
 恩返しの70代、
 感謝の80代。


 私は30代で自分が40歳の時をイメージしました。社会人になって10年経過し、40歳までの残り10年。定年までの20年、定年後の20年。人生において30歳代は半分も過ぎていない年齢なのです。
 ちょっと気を抜くとボケると感じました。幸せボケ、○○ボケ、老人ボケなど。。。。。

 面倒な話は止めて、とにかく人生を自分で切り開きたいと思った次第です。私は嫌な上司の下で数年居るだけでも人生を棒に振ったと感じるタイプです。私の性格なのか白黒はっきりするのが好きですが、なかなか面倒ですね!

 まァ〜細かな話になったので、止めときます。。それではまた!
 


2009年 2月28日 「日本は何を目指しているのか?」  

 日本はどうして政策に特徴がないのかな?経済国家、福祉国家、在るのは複雑な言語にわび・さびだけですか?
 技術は超一流ですが、これをうまく国が生かすようにして頂きたい感じです。官僚は保身の為の事務作業しかできないのか、政治家に問題があるのか?



 愚痴っても仕方がないので、前向きに皆さんで省エネに取り組んでいきましょう。



2009年 1月31日 「地元、六日町温泉にお世話になりました。」  

 坂戸城さんと金誠館さん、ありがとうございます。やっぱり早朝のお風呂は最高です。
天地人で云う「地の利」を生かした私の生活パターンかな!。家のお風呂は自由に足を延ばせない状態で、ただ毎日こなす感じですが、温泉旅館のお風呂は私をリフレッシュさせてくれます。しかも1日の始りを快適にさせてくれます。毎週1回でも利用すると止められません。これは皆さんにもお薦めです。
 
 私の生活パターンはお酒を飲んで帰宅するとすぐ寝ます。また帰宅時間は遅いので自宅の風呂に入るのは11時過ぎになり、すぐに入りたくても風呂が空いている保証がないのです。今甥っ子一人は東京にいるので、ここにいる家族人数は8人です。私が風呂に入る時間帯の最大のライバルは姪っ子です。入浴時間が遅く、長く、私は待っている間、離れの部屋に戻って休息中に寝てしまう訳です。(ちなみに母屋は禁煙なんです)

だから結局一眠りした後の深夜2時〜4時に入浴する時が結構ありました。流石に自宅の朝風呂は洗濯時間と重なるので入れません。

 以前は深夜の1〜2時に寝る夜型人間で8時出勤でしたが、最近は朝型人間に改造出来たかなと思っております。(私は低血圧で朝は弱いかなと思っておりましたが、違ってたかな?)

朝型人間になった私は以前より頭が冴えてる感じです。

この生活パターンを維持できるように努めております。
皆様も時々地元温泉をご利用して気分一新してみてはいかがでしょうか。