2010年12月31日「今年、過去を振り返って」 

 今年は久々に大変な年を経験しました。しかし時過ぎれば良い経験です。過去を振り返ると私は5年サイクルが一つの転機になっている感じです。15歳(1980年)、20(1985年)、25(1990年)、30(1995年)、35(2000年)、40歳(2005年)、そして今年の45歳(2010年)です。これから私にとって良い転機になる時期と考えております。
(根拠は省略させて頂きますが、ご了承ください。)

 今年は
脱サラして6年、法人設立から5年経過しました。その間にリーマンショックを契機にする世界同時不況(100年に一度という金融危機)があり、円高や株価低迷、デフレ、政権交代、ねじれ国会、赤字国債の増大など負の連鎖ばかりでした。
 だから日本経済の「失われた20年」となる訳です。これは全体的にみると悲しい景気ですが、この景況下で伸びている企業はあるのです。

 2011年前半もまだ明るくないでしょうが、MBC共々自社の上昇トレンドに向かって、目標をより明確にして気概と行動力で来年は立ち向かいましょう。





2010年11月30日「残り1ケ月」 

 忘年会が始まり年末モードです。外周りの多い快調な営業月でした。突発的なパソコントラブルが多く苦慮しましたが。。。
 特にパソコンのハードディスク物理的障害は、弊社では解決できませんので専門会社へ依頼します。どうしてもデータ復旧したいとなると作業料金が5〜10万近くかかります。復旧するデータ容量が大きいと15万にもなります。大切なデータほどバックアップですね!
 私のパソコンはタワー型PCなので、2個のハードディスクを内蔵して使っています。またネットワークハードディスクも併用しております。業務用ソフトは1個目のHDDにソフトをインストールし(Cドライブ)、毎回業務終了後に2個目の内蔵HDD(Dドライブ)にバックアップしてます。Cドライブが物理的損傷になってもDドライブからデータ復旧できるようにしております。勿論他のPCにソフトを事前にインストールしており、万が一の場合は他のPCですぐに運用いたします。
 
 MBCでは12月に年末・年始・通年使う粗品を手配します。毎年試行錯誤して粗品選択して来ましたが、今年は短時間で白タオルに決定しました。ピンクや黄色などありましたが、MBCのコーポレートカラーである薄紫や赤でないので却下しました。無難な白となりました。 創業時から安易な選択肢であるタオルを避けてきましたが、お客様に喜ばれる粗品を時間をかけて選択するのに正直疲れました次第です。実際は喜ばれていないかもしれませんし。今まではスタッフと相談しながらあーだこーだ云いながら決めてきましたが、結局は私がどこで妥協するか否かでした。今回はスタッフに相談せず短時間で決定し処理しました。
 過去に安価なシャーペンとボールペンのペアを粗品にしました。100均のボールペンみたいに肝心なところでインクが出ず、イライラする粗品でした!お客様すいませんでした。次回からは名のあるブランドメーカーで作成しないとダメだと感じました。会社名のない粗品には、手作業でロゴシールを張ったりするわけですが、シールの色を決めるのにも結構手間がかかりました。ロゴ文字色、背景色と色々ある次第です。私が絡むと「もういいか、これで・・・」と簡単に終わらせたくなりました。
 過去に粗品をハンドタオルにしたこともありました。スタッフ曰く、MBCの会社名があったらハンカチとして絶対使わないと云われ、会社名を入れなかったこともありました。洗顔用として白タオルは使わない。可愛いカラフルなタオルだけを選別しているとか。粗品のタオルはと聞くと、雑巾か子供のスキーワックス用に使うと云われガックリしました。確かにタオルは私の家でも台所用、トイレ用、洗顔用、風呂場用とか色々ありました。時々風呂場用に紛れていて、なんだコレってパスしたタオルもありました。ちょっと魚臭かったタオルでした。おそらく台所用で匂いが落ちなかったのでしょう。
 確かに私も洗顔用タオルは、私個人の専用タオルがいつも回ってきてました。自分の部屋からタオルを持って行き、ハミガキと洗顔をしてました。白タオルでないものでした。コカコーラの赤いタオルや熊の刺繍がある薄茶色のタオルでした。普段の習慣なのであまり考えてないけど、私も同じだったんですね。

さてMBCの白色タオルはどこで使われるのでしょうか?


2010年10月31日「私の好きな季節となりました」 

 昨年から10キロ肥えた私の季節です。汗を多量にかくこともなくなり、快適モードです。ただスーツの腹周りがキツイだけ!7・8・9月の営業怠慢のツケを挽回する月。5年前は設立したばかりで参加できなかったハードウェアとソフトウェアの大口商談勝負。昨年は周辺ハードウェア商談に負けましたが、お客様には大変喜んで頂けた経費削減案。弊社もお手伝い出来たので、経費削減案は大成功しました。今回は1年かけた業務改善企画提案書の大勝負をかける時となりました。これで勝てなかったら今年は終わりという感じです。来年からは大殺界明けの1年が始まります。そろそろ私の時代が来ても良さそうな時期です。猛暑ストレスが重なりおお太り?、友達とも口ケンカしたりと、情緒不安定が多々ありました。控えめな行動を心がけていたにも関わらず、流れを変えられず、日本経済と同じドン底を味わった1年って感じです。
 年に1、2度しかない大口商談チャンス!これも商談決まるまで結構ストレスになります。
システム説明、不安箇所の解消説明と数回に渡る説明機会を頂きました。そろそろクロージング時期を逃さないように注意します。そしてこのタイミングと私の押しがでます。問題なければ「決めましょう」、そして商談成立。「・・ありがとうございます。」

これでひとつの商談は無事に終わって、2・3ケ月後のシステム納品となりますが、また次の別企業用の企画書作成と並行稼働です。頭を切り替えながらするのですが、これがまた大変。頭がごっちゃになります。同じ内容であれば少し加工してですが、全くの別システム案件です。集中する作業は徹夜になりますが、昼間は車であちこちドライブして頭を切り替えたりしてリフレッシュする次第です。覚えて忘れての繰り返しで確実に記憶される私の暗記方法です。

 大口商談は提案書作成や見積もり作成で結構時間がかかります。提案内容を忘れるぐらいの時間がかかります。今回は勝負ごとに勝てたことに満足してます。


2010年 9月30日「中学生の職場訪問の感想文が届きました」 

 暑さも衰えずMBCは外周りの仕事の波に乗れません。営業活動は鈍るばかり。鈍る原因は暑さだけではありませんが。今後主流になるクラウドコンピューティングの勉強会も重なり、営業に専念出来ない期間に入った模様です。新しい企画書や商品の選別に四苦八苦しました。これがお客さんに合うのか、将来性は?商品のシェアなど多角的に商品を見たりグループウェアソフトの試用とディスクワークが多くなった次第です。
 今までの私の経験を生かした総合的判断で商品を選択しますので、けっこう大変な作業となりました。集中してできるのは、やっぱり夜中!!選別から1年以上の時間が立ち、A案からB案の商品へと結論がでました。A案はランニングコストが少し高く、グループウェアソフトを全て使いこなす社員が居ない、初めてのグループウェアなら導入し易いB案となりました。
めでたしめでたしって感じ。

 そんな少し安堵した時に、中学校から郵便物が来ました。なんと先月訪問してくれた中学1年生の感想文でした。スタッフと一緒にとっても笑えた感想文でした。綺麗な事務所で早いパソコンに感動してました。それとお仕事の内容云々よりゲームや音楽とかケーキなどのもてなしに喜んでいる内容で、こういう所で仕事したいとか・・・・。まぁ〜確かに5年しか経っていない事務所なので綺麗でしょうが、中学生本人がどんな職業に適しているかは母親でも判らない現状ですから、スタッフと一緒に将来の中学生の話に花が咲きました。ちなみに私とスタッフは自分の中学1年に会社訪問は無かったし、どんな職業になりたいとかも無かった次第です。小学校6年の私の卒業アルバムには、将来大統領になるとか、日本に無いアホな職業を書いていました。何も知らないで書いた情けないものでした。
 スタッフとも話しましたが、中学生から将来なりたい職業が見つかり、なった方は大した者だと。。。。。

 9月半ばから目がショボショボし始めました。いつもは寝てすっきりしたり、事務所の空気の入れ替え時だったりで解決していました。しかし1週間経っても変化なし。やっと目薬をして改善を計りましたが、これはやばいケースかと思い始めました。私が持っている保険証は、有効期限の過ぎたもの。自宅から新しい保険証を探してきて、準備は整いました。
 外周りの途中に眼科に行かなくてはと思い出し、私は電話して医院に飛び込みました。いつも限界ギリギリで病院に入る私でした。
なんと!目に傷があり、細菌が云々とかでした。目薬を2種類貰って帰社しました。まめに目薬をして2週間ぐらいで治りました。どうして傷が付いたかは判りませんが、こう云う事あるんですね〜。

 実はその眼科には両親が今通っていて、私が何度か送り迎えした場所なんです。まさか私が通う羽目になるとは。。。。ちなみに両親と私は、細木数子の六星占術では、水星人なんです。簡単に言うと「独立心旺盛で徹底した個人主義者の水星人」の3人なので、自己主張し合って絶対相手に屈しない関係です。だからお互い干渉せずわが道を行く3人でした〜。


2010年 8月31日「気温は過去最高の炎暑、MBCは過去最高の・・」 

  1日は今年4回目の坂戸山登山をチャレンジしました。今回は蚊が多くて大変!、超イライラの登山でした。次回は虫よけスプレー必須と手帳に書く私でした。MBCでは登山を推奨としていますが、誰も参加してくれません。運動不足の私だけに適用されるそうで、日常の活動量と食事のバランスが取れている方々は問題ないと・・・・。いつでも食後に寝れる私と違い、スタッフは朝ゆっくり寝ていたいそうです。清々しい空気の山頂は気持ちいいのにな〜(ちなみに朝露天風呂や朝ドライブもいいよ)。

 私が肥えたのか(肥えたことは確かでした)、車のエアコンが効かないのか判りませんが、とにかく暑過ぎて、
MBCは過去最高の業務怠慢ぶりでした。エアコンの影響による電気代も過去最高でした。若さを装って下着なしでYシャツを着ていて、汗まみれになる事を避ける日々が多くなりました。今は反省し、来年は下着つけて行動すると誓う私でした。(気づくのが遅すぎ!!) こんなに汗かきでは無かった私ですが、太ると変化するのかな!

 5日は中学生の職場訪問。スタッフが対応しました。

 6日は、夏巡業 
大相撲 雪国南魚沼場所がこの地で開催されました。南魚沼市合併5周年記念イベントであり、MBC法人設立5周年でもありました。過去最高のスポンサー料を大相撲に協賛しました。また両親と親戚を招待して大相撲を観戦し、私は初めて大相撲を生で見て、自分の太った体を大したこと無いとプラス思考で解釈する程、力士の大きさぶりに圧倒されました。やっぱり体育館は暑かったですが、気温変化が少ないせいかいつもより汗がどっと出ず楽な方でしたヨ。
力士のように食べたら寝る私ですが、来年の健康診断までには昨年と同じ70キロに戻す予定です。今年は諦めましたが・・・。

 翌日の7日早朝8時から
大毘沙門送り火大祭の準備があり、山に登って午後1時まで作業しました。毎年のことですが、これは肉体労働の厳しさと暑さとの戦いの場です。強制参加ではないので任意ですが、私より年配者が元気に作業する姿を見ると、体力つけなきゃマズイと気づくイベントなんです。マイナスイメージで考えると、年配者に任せて用事を作って不参加する手段もありますが、そこは男の意地なのでしょうか?極力参加するように心がけております。プラス思考でいくと1年の3・4日の事だから少しはボランティアしなさいって感じかな。過去最高のボランティア活動!!フル参加しました。
 勿論帰宅後は、体をクールダウンさせてぬるま湯のお風呂につかる予定でしたが、いつのまに食後の睡眠になりました。しかも夕方まで。
 私を夕方電話で起こしたのは1コ下の高校後輩でした。寝起きのテンションが低い時は、飲み会に行くのはイヤだとキッパリ断りましたが、再度の電話催促で頭を切り替えた次第です。懐かしい顔ぶりがいるので、お風呂に入って湯沢まで高速を飛ばしました。

 
飲み会の席での事ですが、私も調子の良い時は良くしゃべりますが、男二人のダブルK君達はしゃべりまくり。二人舞台でした。私は先輩と云う立場上、この会は出しゃばらずに抑えていましたが、新潟市のK君、塩沢のK君はこんなにおしゃべりだったかな?と思うぐらい話まくってました。少し驚きでした。(かなり懐かしい集まりで二人とも人生最高のおしゃべりだったのかな?)私は後輩女性の方々の話を聞きたいと思っていたが、うるさくて会話できません。・・うるさいと云うことは、私が興味ない会話だっとということかな。いいえ興味が無いと云うより、かなりの昔話で私が想い出せないニッチな話でした。ちなみに私含めて男3人は、高校時代コカコーラの配達アルバイトしたメンツで、私は忘れていましたが。。。
まァ〜なんだかんだで12時近くなったのでお開きでした。

 9、10日の午前中はお客さまや知人のお葬式でした。

 14日は
大和中3年2組のクラス会でした。前回より人数が少なかったですが、久々の同級生が顔を出しました。濃厚な会話ができて楽しかったひと時でした。前回は幹事だったので気配り疲れという感じで2次会まで付き合いましたが、今回は幹事ではないので帰り際は寝てしまうほど飲みました。2次会にも行かずにタクシーで帰宅した次第です。酒の飲み方が相変わらず下手で、水のように飲んで倒れるパターンです。

 15日は
むら祭りで神輿を担ぎ、夜のイベントにはお笑い芸人から久々に生の笑いを頂きました。坂本冬美でなく坂本冬休み、西城秀樹ならぬジョージ秀樹、歌手&ものまねの栗田けんじさんのショーでした。

16日は
大毘沙門送り火大祭本番、そして翌日は後片付けとなりました。もちろん汗だくです。

27日は新潟市に出張でした。車内は涼しいですが、車外や市内徒歩ではすぐに汗だくです。東京出張と同じで私ばかり汗だく状態。体がおかしくなると思うほどです。メタボ対策に飲んでいたヘルシアウォーターのせいなのか判りませんが。

今月は週末2回ほど朝から温泉につかり、老廃物をサウナで発汗しました。そしてマッサージしてくるいつもの行動パターンでした。もしかしたら私は水分取り過ぎで、このシーズンでの汗だくは健康的な発汗作用なのか?と分析する私しでした


こんなことをしているから平日は安静状態。普通は週末でリフレッシュですが私は週末に疲れを作ってくるパターンであり、スタッフから「仕事してないね」と言われることになった8月でした。

PS、スタッフは私が夜中とか、早朝から仕事している事を嫌います。私の不規則な生活が太る原因になるとか?でも寝起き後の頭がちょっと冴えるので私は好きなんですヨ。今回は深夜2時から仕事初めて今は朝の6時です。これから風呂入ってきま〜す。


2010年 7月31日「今年の夏は、めちゃ熱いやんけ」 

  6月から気温がやや高めで推移し、7月はやっぱり熱い気温のまま。汗だくの外出仕事が続きました。
帰社するとぐったり。帰社後のディスクワークは集中出来ずに、翌朝まわしが習慣になってしまいました。
朝は4時ごろに起き涼しい空間で仕事が進みます。昼寝は必須でしたが。昼寝でまた後半戦に臨んだ私でした。
 しかしマジで熱いと体力も気力も奪われて、Yシャツは汗でびっしょり、水分補給にビールが一番の感じでした。
 週末は大毘沙門送り火大祭のボランテア活動で早朝から山の草刈りに参加し、午後は死んでいました。また週末に今年3回目の坂戸山登山に行きましたが、出発の時間帯を誤ってしまい、体力付けるどころか暑さにより体力奪われる始末でした。それといつまでも延期できないMBC前のU字溝工事を兄と一緒に暑さに苦戦しながら作業しました。

 
超ハードな熱い月でしたが、仕事に身が入らず、DVDレンタルで旬な映画を借りて来ました。
実は友達との雑談で映画の話が出て、私が○○を見た話しとか、今度はあれがレンタルされるから見るんだ〜と話したら、俺は見たよ-と友達が云いました。先を越されたと思い、どうして上場企業の会社で超ハードなお前が見るんだとツッコミました。彼は単身赴任で長岡に住んでいて、夜はかなり自由みたいです。中山美穂好きだから。。。。と云ってました。それは「サヨナライツカ」って云う映画で俺達と同年代の女性です。私も好きな歌手兼女優でしたから、お前もかと。映画の内容云々よりは熟女になった中山美穂でした。


2010年 6月30日「クラウドコンピューティングの時代突入3」 

  10年前から発生したサービスに、社外や社内のサーバーを提供するホスティングサービスがありました。レンタルサーバーとしてホームページやメール、共有ディスクを置いておくサーバー機です。
今では大手企業のサーバーをクラウドコンピューティングとして我々も借りて再販できる時代です。
 流石に自社においてはお客様にお貸しできる程の高価なサーバー環境は構築できませんが、今では構築する必要がなくなり、大歓迎してます!!これで少しはインフラの地域間格差は縮まり、これによって自社のサーバー運用・保守コストは便利で安価なサービスに移行できる体制になりました。
 
この地でこのサービスを普及させることが、地元企業の使命であると感じております。

 MBCはどこのコンピューター会社にも属さない独立系企業です。お客様にとって最高の商品を選択しております。例えばトヨタの関連販社が、日産車を販売しないことがあるかも知れませんが、MBCは良い商品は販売すると云う感じです。。

パソコンなどのハードウェアは、5年使用すれば交換ですが、ソフトウェアは一生ものです。選択を誤ると結構大変です。増して今までのデータ資産を引き継がせる為には、余分なコスト発生させることになりますから、慎重に業者選択と商品選択をお願いいたします。

 〆になりますが、取り急ぎ
クラウドコンピューティングとグループウェア(注1)と云う言葉のみ憶えて頂けたら良いかと思います。

MBCは更に下記のサービス向上を図ります。
■共用サーバー
■ビジネス効率化サービス
■ドメインホスティングサービス
■ホームページサービス
■メールサービス
■グループウェアサービス

注1、グループウェアとはスケジュール管理やファイル管理、掲示板機能などを中心に、情報共有やコミュニケーションを活発にするソフトウェアです。


2010年 5月31日「クラウドコンピューティングの時代突入2」 

  弊社のクライアントにおいて、光回線の専用線から一般に普及している光回線を利用できる環境になりました。専用線はNTT基地局からの距離に応じて料金が異なります。長ければそれだけ工事費用がかかり、毎月の回線利用料に課金されます。毎月5万円の使用料で年間60万です。2年使用すれば120万です。これだけのコストを企業で払うことは大変です。一部の部署を移動することも考えましが、作業効率から考えて一部移動は止めました。それがやっと来月解放されます。

 2年間の時間を120万かけて買った訳です。その間は他の通信コスを下げる努力をしました。社内営業マン同志の携帯電話通信コストだったり、複合機のランニングコスト、パソコンも含めて、あらゆる物にコスト意識をもって取り組みました。

 もし南魚沼市が光回線の工事を進めなかったら、このクライアント様は今後も高い間接費用払ってしまう次第です。営業に直結する直接費用なら仕方ないが、間接費用は考えものです。来月からはこの費用が地元企業に落とされる確率が高まりました。私の地産地消精神に当てはまりますので歓迎です。
 ここのケースは基幹業務なのでセキュリティが強く、どこからもアクセスできると云う訳ではありません。しかし基幹業務以外のソフト利用はクラウドを利用して営業・社員向けのサービスを受けることが可能です。一人あたり数百円単位のグループウェアなので、昔より利用し易いです。

 
ここのクライアント様は、これからもっとビジネスの幅が広がります。年間60万の費用が次期投資に回せる訳ですから。。期待しましょう。


2010年 4月30日「「クラウドコンピューティングの時代突入1」 

  2年前からSaaS(サース:Software as a Service)のサービスが提供され始めました。インターネット経由で必要な機能を利用する仕組みです。例えば社内に高価なサーバー機が無くても大手メーカーのデータセンターのサーバー機に任せるモデルです。99.9%以上の稼働率で、故障やトラブルがほとんど無いです。ちなみに社内におけるサーバーやパソコン環境は最悪です。社屋は電圧、室温が一定でなく埃だらけで、安価な機械は3年維持できるか分からないのが現状です。我々は大変な手間暇かけて対応しておりますが、99%の稼働率は正直無理です。労力ばかりかかりユーザー様にとっても高いコストです。10人以下の零細企業には重すぎる費用対効果です。
 
 ここ南魚沼市は来年3月までには光回線が市内全域に布設されます。やっとと云う感じですが、私は正直超喜んでおります。議員さんに光回線でプレッシャーを与えた時期もあり、ネット利用する優秀な企業はここには来ないよ。地元の税金優遇があって安い労働賃金目当ての工場ぐらい。良くて空港のある新潟市かなと宴席で愚痴ったこともありました。

 過去(10年前)に、当時勤務していた会社で市長さんからブロードバンド社会の相談を受けました。当時はisdnやadsl回線でしたが、ネットが無ければ田舎企業は世界で戦っていくのが大変である時代ですと、説明した記憶があります。その時から我々は地域間格差を感じており、国外(台湾、シンガポールなど)で仕事ができた方がメリット大でした。アイデアはあっても資金と人脈(優秀な技術者:システムエンジニアやソフトプログラマー)がないとチャレンジできませんが、今もまだ国外が有利です。。。
         ・・・早く不利な条件を取り除いて欲しいです。
 
 市にお金が無いから光回線工事の優先順位が低くなり、やっと国の補助金が付くようになって、このように布設工事されるようになりました。国や県や市、企業、個人にお金が無いのはどこも同じですから大変です。NTTさんは民間企業なので、採算が見込まれない地域には設備投資(光回線工事)しないから、やっぱり市の公共工事が必要だと思う私です。
 数年前は光回線において湯沢町や十日町市が一歩進んでおりました。昨年辺りから塩沢地区、六日町地区に光がきました。ここ旧大和町においては今も企業が独自で引く専用線しか光回線はありません。
専用線は高い通信コストが毎月かかっており、光回線の布設工事によって
高い通信コストを退避できる企業が発生し、喜ばしい限りです。



2010年 3月31日「世界の中の日本は」 

  世界の総人口68億人。日本人の割合は2%足らずです。地球に住む98%は外国人です。2050年には日本人は「世界の1%」ほどになります。まわりは外国人だらけという現実はすぐそこですが、人の国際化はなかなか進まない感じです。外交において日本人は主張、議論すらできない方々が多いようです。韓国、中国人は日本語も堪能で悠長に話せる。勿論、日本語学校や留学経験者です。
 先日、某パソコンメーカーのサポートスタッフと電話して、少々雑談を致しました。フリーダイヤルで電話を掛けたので、少々雑談を入れて情報収集しました。(MBCでは相手の時間を割く電話は短時間に要点のみが基本です。メールで済む場合は相手の都合次第の回答待ちです。)
 なんとフリーダイヤルの通話先は中国に転送(恐らく通話料のかからないIP電話などでしょう)されていたのです。悠長な日本語ですが、何となく時々外国人かなとわかる程度なんですが、上手な日本語でした。話をしてみると中国の大学院出身であり、日本語を勉強されたとの事でした。パソコンはアジアで作られ、サポーター要員も外国人の時代です。人件費が安い海外を企業は活用し、国家により人を育て上げた結果が日本語や英語を話せる国際人の誕生です。

日本はこれから世界の舞台で戦えるのでしょうか?

外国人との距離が中々縮まらない。ここは田舎だからすぐには変化しませんが、国際人を雇う企業が多くなる地域になれれば嬉しい限りです。上場している大手企業の行先は海外進出です。毎年売り上げを上げなくてはいけない宿命の企業ですから。戦後から登り始めた国内市場は下降トレンドになり、大手企業は国内での存続すら危ぶまれています。(国際化に向けて合併が多くなっています)

 ここ旧大和町には恵まれた環境があり、天地人で云う地の利を生かすべきです。それは国際大学です。発展途上国の方々が多く留学されています。今は単に若い学生達ですが、将来は国を動かす人材になる逸材ばかりです。

日本がスタンダードと捉えるのでなく、世界を見据えた、世界でおこっていることがスタンダード(標準)と思って事を起こさないと、取り残される日本かと思います。
 国内ばかりを過保護にしたばかりに強い日本人が出来にくい日本になった感じです。日本は戦争で負け、技術で勝ちました。今度は国際化で負けようとしています。

 私は30年前から英語が好きでした。今でも憧れから多少耳にするようにしています。10・20年後にはもっと海外でビジネス展開している地元企業が多くなるかと。。
その時までの準備として、今出来る事として国際大学の学生さんと触れる機会を設けております。皆さんも国際大学の学生と触れて世界を意識しようではありませんか。ちなみに英語が出来なくてもOKです。学生さんは日本語プログラムの為に留学されているので、日本語で話されるのが喜ばれるのです。
日本語教師になったようになりますよ。


 

2010年 2月28日「冬の事業、フェニックス花火終了で思うこと」 

  2月14日(日)ファイナルフェニックス花火が無事終了いたしました。
長かったような短かった5年間続いたフェニックス花火は、多くの協賛企業、団体、個人によって支えられてきました。花火が打ち上げられる前の1ケ月半の活動は、実行委員会メンバーにとって貴重な体験であり、今後の他の活動でも役に立つことと思います。 
 
 私はこのフェニックス南魚沼実行委員会の主なメンバーである(社)雪国青年会議所で鍛えられたと思っております。勿論このフェニックス花火を言い出したメンバーに賛同した私は、途中で抜けられない状態になり、意見ばかりを云うのでなく、行動で示さないと納得されない会でした。そして一人ひとりの力が集結されて出来る事業であったからです。私が担当した協賛企業様には、花火打ち上げが成功して素直に喜んで貰わなければ、協賛企業様に申し訳ないと思って最後までやり通した感じです。
自然との絡みで失敗しても話の種にはなりますが、どうせなら成功したいと・・・!

 私は中越震災後の翌年から企画に参加し、2006年から5年間ボランティアとして想像を絶する仕事量を経験をさせて頂きました。、これに参加するモチベーションは何から来るのか?初回から参加していた責任と義務、達成感があったことは間違いないですが、やっぱり中越大震災を風化させたくない想いかと思います。
日々の忙しい生活で忘れがちな過去の事象ですが、震災を経験し、人生の見方を変えた者しかわからない心理かもしれません。

 会社では味わえない体育会系のノリでしょうか?アドレナリンが疲れを感じさせないと云うのか、後輩から元気を戴く感じでした。
特に若手のエネルギッシュな会議と活動は、MBCのスタッフに見せてあげたいと思うばかりです。
 
 各会社のリーダーが集まった組織ですから、会を知らない方でも凄いことは察して貰えるかと思います。この会を仕切れる人財になるには、このような会で経験すれば習得できると思いますが、一般会社では難しいのかな〜?!。
しかしMBCは各自が責任を持って各部署のリーダーとして教育しましたが、私に似て来て逆に困っています!

私が云ったセリフが逆に私に帰ってくる始末に・・・・。

私の反省する日々が続いております。



2010年 1月31日「国会のヤジに幻滅 & Management Of Emotions」 

  国会議員の品の無さにガッカリ。一般市民がしない発言を。。。。呆れるばかりです。
・・・赤の他人(縁の無い国会議員)の行いで私の感情が乱れることは、大きな損失で時間の無駄なので止めて置きましょう。
 私は今、感情のコントロールを実践しております。ある本を読んで面白かった訳です。今まで私は「プラス思考」を肝に銘じてやってきましたが、もっと具体的に記載されたこの本を参考に実践しようかと思います。

Management Of Emotions

行動すれば必ず失敗する。
大切なのは、失敗したときに「即座に立ち直る力」を身につけること。

人は失敗しないように時間をかけて、グズグズ煮え切らない状態で躊躇します。時間がかかり過ぎてチャンスを逃すこともあります。実践するまで時間がかかり過ぎると、人に与えられた平等な時間を有効に使えません。傷が癒えるまで待ってと生ぬるいこと云わずにすぐに立ち直りなさい。
躊躇するなら飛び込めの精神です。

失敗が多ければ、次に成功する確率が多いとか・・・・。

【理論】
●「体の動き」「言葉」「意識のフォーカス」によって、感情をコントロールできる。
●頭で覚えたことの90%は忘れてしまうが、「体」で覚えたことは忘れない。
●成功するためには「行動できるか、できないか」、そして行動には「感情」が必要。
●「楽しいそうな動き」をすれば、強制的に「楽しい感情」が生まれる。
●行動すればかならず失敗するが、大切なのは、「すぐに立ち直れる力」

【行動】   
●「パワーボキャブラリー」と「パワーアクション」を習慣化する。
●「できないと思ったら?やらなければならない!」を実行する。
●「失敗したら?やり方変えてあと9回」を実行する。
●「頑張ります」を禁句にし、「できる!やれる」という。

私は行動する際、何かをネタに自分のモチベーションを上げてきました。
自分を切羽詰まった境遇にしたり、今日がそのチャンスとか思い、行動するために少し感情を
左右させていました。

例えば、この事業は地域に必要で、MBCは地域貢献しなきゃ、市民参加は必要とか、
この商談は今年最大のチャンスだから、徹夜の連続で資料作成したりして一人で燃えておりました。

このことが私にとってのManagement Of Emotionsと気づきました。

私を奮い立たせる言葉やアクションを使って、情熱をもっとうまくコントロールできれば
いいかなと思った訳です。

皆さんは如何して前向きな思考にしていますか?お聞かせ頂ければ嬉しい限りです。

See you later.